「神の子」と呼ばれた少女が
“ただのわたし”として生き直すまでの物語。
はじめまして。
狼月(ろうげつ)です。
今日はわたしの人生ストーリーを
ご紹介していきたいと思います。
わたしは
教祖の娘として生まれました。
物心ついた頃から
「おまえは神の子」
「次はおまえが人を導く」
と言われ育ち、
祈祷師としての修行もしてきました。
信者さんからは、
人の痛みを感じ取り
祈りで癒す力がある
と「神の子」として崇め奉られ
「特別な存在」として生きてきたんです。
でも──
わたしは物心ついたときからずっと
「人の願い」や「役割」ばかりを背負い、
自分の本音を感じたことはありませんでした。
さらに
教祖である母は家庭内ではとても支配的で、
気分の波が激しく、常に暴言が飛んでくる。
神様とわたしに見捨てられたら
おまえなんか死んでしまうぞ
おまえを飼ってやってるんだ
などなど。
「神の子」であるわたしは常に怯え、
自分の感情を抑圧して過ごしてきました。
20歳のとき。
長年の我慢が限界を超え
母にはむかったのですが、結果は破門。
突然、時期教祖の座から降ろされ、
信じていた世界からの永久追放。
「神の子」ではなくなってしまった
じゃあ、わたしは「何者」なの??
その絶望から始まったのは、
うつ
摂食障害
重度アトピー
身体醜形障害
という、終わりのない病との闘い。
「癒す側」だったはずのわたしが、
心もカラダも壊れていったのです。
自殺未遂をするも失敗。
生きていくしかありませんでした。
その後看護学校に入り
癒されない気持ちを抱えながらも
今度は医療の世界で
「人を助ける」ことを学びました。
「これがわたしの使命なのかもしれない」
そう思った矢先。
立て続けに母と祖母が亡くなり、
20代でわたしは天涯孤独の身に。
さらに追い打ちをかけるように、
パートナーシップも金銭面も
絶望的なほどまったく上手くいかず。
メンタルも体調もどんどん悪化し、
最終的には看護師を辞めました。
信じてきた神様も宗教も。
身につけた医療の知識も資格も。
自分が持つ「心の痛み」を
癒すことはできなかったのです。
これは、結構な絶望感でした。
でも、探求は諦めきれなかった。
ずっと、
なぜ、この苦しみから逃れられないのか?
どうやったら、愛されて幸せになれるのか?
を知りたかったのです。
その答えを得るために、
10年で1,500万円以上
を費やしました。
ヒーリング
チャネリング
リーディング
エネルギー整体
はその過程で習得したもの。
答え探しの旅の途中で
鬱や摂食障害などは完治し
アトピーも寛解しました。
しかし、
見つかった「問いの答え」は
「ありのままの自分になればいい」
ということだけ。
だから!
どうやったら「ありのままのわたし」
をゆるし認められるようになるの?
いくら時間とお金をかけても
その具体的な方法はわかりませんでした。
そうこうしているうちに、
再び何もかもうまくいかなくなり。
ついに、わたしはキレました、笑。
もういい!
自分の人生なんて終わった!
もう頑張りたくない!
体調も悪いしゆっくりしたい!
あり金ぜんぶ好きに使って死んでやる!
半ばヤケで、そう「決めた」んです。
あまり大きな声では言えませんが…
成功率の高い自死の方法を調べ、
「〇月に決行する」とも決めていました。
そうしたら不思議なことに。
あらゆる方向から
問いの答えがやってきたのです。
やってきた、というよりも
「自ずとその流れを進んだ」
といった感じ。
自分をゆるし認め
ありのままで生きるためには、
①まずカラダを癒し緩める
②次に感情を「体感覚」で感じる
③感じたことをジャッジせず受け入れる
④そして、湧いてきた魂の声に自分を委ねる
ただ、これだけだった。
「もう知るか!」と投げやりになり
最初にやったことは「①休む」こと。
何もせず、ぼんやりしていると
ずっと抑圧してきた母への怒りが
ふつふつと出てきました。
胃袋が煮え繰り返る感覚
心臓を直に握られたような痛み
などなど…
これが
「②感情を体で感じる」
ということだったのです。
スピリチュアルを学んでいると
「痛みから学びがある」
「自分が親を選んで生まれてきた」
という言葉をよく聞きますよね。
でも、
わたしが本当に感じてきたことは
「そんなの知るか!クソ喰らえ」
だったんです。
そんな理屈知らない!
やられてイヤだったことはイヤ!
そういった感情を「ダメ」とジャッジして
「わかった風」で押し殺していたんですね。
なので、本音を叫んで解放しました。
(③ジャッジせずに受け入れる)
わたしをお前のサンドバッグにするな!
自分の感情をぶつけて苛めて楽しかったか!?
飼ってやってる、なんてよく言えたなぁ!?
本人はもういないけど
自分の目の前にいるていで。
すごい汚い言葉で罵りました。
そして最後の
「④湧いてきた魂の声に自分を委ねる」
ですが
ある程度怒りを出し切ったあと
「宮古島のブルーの海が見たい」
とふと思いました。
長年、
とはいえお金が
とはいえ時間が
で先延ばしにしてきた願い。
それを叶えてあげたのです。
一日中砂浜で海を見つめて
ただ、カラダの感覚を感じる時間。
すると
もう「ありのままの自分」とかに
こだわらなくてもいいんじゃない?
もう戦いたくないし
周りは敵ばかりだ!と思いたくない
ただただ楽しく生きたい
それだけでいいじゃん
という気持ちが湧いてきて
カラダと心が緩んでいくのを感じました。
この一連の流れが、いわゆる
「ゆるし」
「ありのままの自分を受け入れる」
ということだったんです。
自分をゆるすことや
ありのままの自分になること
を手放したら、なれた。
これらを体験したあと、もう一度
”人を癒したい”
という想いが出てきました。
思えばわたしは今まで
「助けること」「癒すこと」
を通じて
「自分の存在価値」
を証明してきたように思います。
でも、もうそれも必要ありません。
今度は“神の子”としてではなく
ただの”自然体のわたし”として
自分ができることを粛々とやる。
ただ、それだけ。
結果的に、それがみなさんの
なにか助けや癒しになれば嬉しいです。
よろしくお願いします。